勉強な人

青木玉の「小石川の家」を読んでいると不思議な表現に出会った。幸田露伴を訪ね文学論を闘わせて幸田家を辞する斉藤茂吉を玄関に送りに出た露伴は「実に勉強な人だ」と言う。「勉強な」ではなくて「勤勉な」ではないのか。
明治時代の文学者は漢語素養が豊かだったというがその運用には未だ定まっていないところがあったらしい。名詞として日本語に導入された漢語が「する」を伴って動詞になるか、「〜な」の形で形容動詞になるか誰がどう使っていたか興味がわいてくる。勉強する(動詞),勉強な(形容動詞)、勤勉する(動詞)、勤勉な(形容動詞)も定まっていなかったようだ。明治,大正,昭和と生き活躍した露伴は孫娘が思い出の中に語っている通り「勉強な」を使用していたわけだ。