朝の儀式

快晴。5時に浜辺へ。ウオーキングを始めて15、6年経った。これは朝の大切な儀式である。この頃は海辺の道が本当ににぎやかになった。中高年のエクササイズとして定着した感がある。
ウオーキングのきっかけは喉に出来た節のような物の治療がうまく行かなかった時だった。とりあえず粘膜を強靭にして喉に何か出来ないようにする事が可能ではないかと自己流で思いついたのだ。予想が当たって3、4ヶ月後には声帯の節は消えて声が良く出るようになったのだ。昔の良く通る(自分で言うのも変だが)声を取り戻したのだ。仕事上声は大切なツール。それが回復したのだ。
ウオーキングは癖になる。中毒になる。これが出来ない日は何か体がぎくしゃくするようにさえ思うのだ。
「散歩は人を哲学者にする」と誰が言ったか忘れたが実に言い得ていると思う。ウオーキングの時間は貴重な、自分を振り返る時間、その日の計画を確認する時間、授業で話すテーマに合った良い実例を考える時間。時にはウエストに付けたiPodの音楽にひたすら聴き入る事もある。だから歩く道は真っすぐで平らで事故の起きにくい道を、10年1日のごとく同じ道を行く。
今朝はセールボートも繰り出していて太陽の光線をその帆に受けて波間に光っていた。6時。浜の東屋でミセスUに会った。岡山のおみやげの梅干しを頂く。数週間のうちにハンガリー料理を食べに行こうと約束した。否それどころか1、2年のうちにハンガリー旅行をしようとも話し合った。
午前中は市内の小学校の見学。帰宅12時。午後は夫に頼んでおいたドミニク ヴィスの演奏会(昨年5月オペラシティ)をみた。フランス人だが武満徹の歌曲をいい日本語の発音で歌っている。