小千谷ちじみ

母は着物の人だった。今健在だとすると90歳を越えているから当然のことだろう。我が家には出入りの呉服屋がいて、いい品物が入ると大きな箱に反物を入れて背負ってやって来た。こんな日は座敷で美しい布の品定めが始まる。呉服屋は箱から出した反物を手の中で転がすようにして広げる。それが何枚も何枚も目の前に重なって行く。母と祖母がその中からあれこれ肩に掛けたりして買う品をきめる様子は華やいでいた。横に座って居る中学生の私でさえこの時を楽しく感じ、門前の小僧よろしく和服に関する小知識を貯えて行った。好きだったのは呉服屋の真似をして反物を両手を使ってくるくる回して巻く技だった。初めは巻き方が緩くてまともではなかったが次第にしっかり巻くことが出来るようになり呉服屋が店仕舞する時間が来ると手伝ったものだ。
母は紬や絣が特に好きだった。夏のお出かけは小千谷ちじみ。インドネシアの蝋染め(今はバティックと言うけれどあの頃はこう呼んでいた)を名古屋帯に仕立て愛用していた。帯留めは翡翠の彫り物。いつもは普通の母だったが出掛ける時のしゃきっとした変わり様がわたしには興味深かった。
中越地震が発生して1ヶ月。錦鯉も闘牛の牛も小千谷のちじみもみんな力強く復興してほしい。