背中がぞくっとする話

老猫がまた病気になった。夫は「姥捨て山だぞ」とか「三味線にするぞ」と言いながらも車を出してくれた。今度は膀胱炎だという。年齢が高くなると猫も人も病気が近付いて来る。注射をされて相当うなり声を上げていた。
スイスの山で遭難のニュースを聞いて自分の失敗を思い出した。
8月の美しく晴れ上がった日、1週間のシャモニー滞在最後の日、私たち親子5人は山に登った。シャモニーからバスで少し町を出て登り始めた。まだ日本ではハンググライダーもそれほどポピュラーでなかった時代、この日は素晴らしい青空にカラフルなデルタ、つまりフランス語でそう言っていた、がいくつも舞い上がっていた。上りはきつく怖い場面もあり頂上に着いたときは本当にほっとした。帰りが問題だった。今来た道を帰るのがこわかった私は「ほら、下にシャモニーの町が見えるわ。こっちの道を行くわ」となんと山のてっぺんで夫に反旗を翻したのだった。これに同調したのが2人の娘たち。パパッ子の息子は夫と同じ道を下りるという。私たち母子の帰り道はそれほど難しくはなかったが遠い遠い回り道だった。やっとシャモニーの町に着いたのは最終バスがジュネーブに向けて出発するほんの5分前。バスから迎えに駆け下りて来た夫の顔はその後一度も見た事がない怖い顔だった。すんでの所で「日本人母子、フランスアルプスで遭難」なんて日本の新聞に出るところだった。快晴でお天気が崩れなかったのが幸いだった。30年も前の事だが今でも思い出す度背中がぞくっとする。