栃木県芳賀郡真岡町般若寺

8月15日が近くなると何かと戦争にまつわる記事が目につく。一昨日の朝刊には集団疎開の記事が出ていた。わたしも最年少の国民学校生徒として栃木県に集団疎開した一人だ。上野駅でなぜか一番のよそ行きのワンピースを着て列車の外に立つ母を見つめていた自分を思い出す。手には物資がないのに母が心を込めて作ったおこわのおにぎりを持っていた。慣れないお寺での集団生活には辛い事もあったのだろうけれど思い出としては残っていない。ホームシックだけはどうしようもなかった。母から届く次々の葉書を何度も読み返して克服していたように思う。終戦間近かに父が迎えに来てくれるまでの1年弱の集団生活だった。集団疎開している間に牛込地区も焦土となって父母と永遠のわかれを経験した友もあったと後に聞いた。