友の悲しみに

夕食の買い物を終えてスーパーを出ようとすると「久しぶり!」と声がした。振り向くとKさんだった。ついこの間1月にご主人をなくした人だ。そろそろ暗くなりかかっていたが「今日はあなたとお茶が飲みたい」と言う彼女の気持ちを汲んで側のドトールに入った。我々は互いを同じ町内にあって心のうちを話せるたった一人と思って来たから。
彼女はある分野で長く輝かしいキャリアを持っている。仕事への情熱が故に時には家族の存在さえ目に入らなかったこともあったことは私も承知していた。無知なわたしがその専門について訊けばいつでも熱を込めて説明してくれる人だった。
一杯のコーヒーを前に1時間以上話しただろうか。ご主人の発病,闘病そして死去までの一部始終をこの気丈な人が涙を滲ませつつ話してくれるのだ。目の前に座って居るKさんは素直にご主人を悼み、淋しくなった身辺を訴える一人の女でもあった。
精一杯自分のしたいことをした後ご主人の最後の時に間に合ってよかった。最後を一緒に苦しみ、病気の辛さを理解してあげたのだからそれで充分じゃないかとわたしは思った。