「しあわせは自分の心がきめる」

人ごみでちょっとした迷惑をかけてしまったとき「すみません」と言う人は格段に増えている。私の思うところでは海外旅行が増え外地で聞く軽い粗相を謝るいい方が日本に定着したのだと思う。この「すみません」を使う人はどちらかと言うと年齢が上がるほど少ない。粗相の後の「すみません」は言う人が多いが「ちょっとすみません」と事前に声をかける時使う人は年齢の高い人に多いようだ。例えば電車を降りる時人が前に居たら押しまくって降りるより「すみません」と言いながら降りればスムーズだと思う。しかし中には金輪際こんなことで口なんか利くものかと言わんばかりの人もいる。
長いエスカレーターを歩いて登り切る数段前,突然ふくらはぎにかばんをぶつけられたわたしは弁慶の泣き所をしたたかエスカレーターの鉄製の角にぶつけてしまった。振り返るとそこには素敵なスーツ姿の働き盛りの男性が恐ろしい顔をしていた。私はとっさに状況を理解した。彼はとても急いでいてわたしが通行の邪魔だったのだ。こんなときこそ「すみません。急いでいるのです」の「すみません」が一言あったらと悲しくなった。血がにじんだ痛い足を気にしながら乗り換えホームに急いだが,朝の溌剌とした気分はしぼんでしまった。しかししばらく歩いた所で目に入った言葉「しあわせは自分の心がきめる」に救われて気を取り直した今朝だった。