良き師と巡り会う

大学の同窓の友人達と作っている会合に出席した。この会は心から敬愛して来たS教授を中心として前後6年間の同窓生20人余りで結成された会である。今日の会合は4月下旬に決定していたのに奇しくもS先生のご葬儀の翌日というタイミングになってしまった。一昨日の夜密やかなメール到来の音とともに知った先生のご逝去。高齢でいらっしゃるから遠からずこの日は必ず来ると分かっていつつもショックだった。私は昨日仕事を抱えていたから葬儀に馳せ参じることも出来なかった。
思えば本当に昔のこと、19歳の私が敬愛する先生と決めた方である。その発端はこうだ。当時の日本は男女平等こそ声高に言われていたが新聞に表れる語彙に物事を公平に見る目線はなかった。ある日の講義の時先生は或る事件報道に使われていた「老女」という熟語の不当なことを糾弾された。物事を平等の目で見ることの大切さを知ったときである。ギリシャ ローマの古典に挑戦する手ほどきを受けたり留学先で集められた沢山のヨーロッパの民謡を教えていただいたり思い出は尽きない。以来社会人になったとき、結婚のとき、その後の人生の折節にも言葉を頂いた。ここ数年は闘病の先生にお会いすることもなく、この日を迎えてしまった。今の私を見ていただきたかった。インターネットでお名前を検索すると研究成果が立派な全集になって出版されていることが分かる。昨日のご葬儀は無宗教だったという。キリスト教の土壌で成長され、欧米の知識と教養に裏打ちされた先生の心の中の少し左翼的なものの見方を最後まで貫かれたのだと思う。