父を思い出して

父の思い出と言えば幼い頃聞いた父の楽しい「お話し」を思い出す。当時の我が家には玄関から続く広い廊下があってそこには緑色の、たたみ一畳くらいの大きな黒板があった。父の「お話し」ではこの黒板が活躍するのだった。週末父が暇な夕方近所の子供達がこの黒板の前に集まる。そして父の楽しい「お話し」の始まりだ。内容はいつも同じ。それでも子供達は聞きたがって集まって来る。それは大男を退治する子供の話だった。ある日森の中の湖で釣りをしていた子供が魚ならぬ小さな小瓶を釣り上げる。中から小さな声がして「出してくれ」と子供に頼むのだ。瓶のふたを開けると煙とともに見上げるような大男が現れて、子供を脅す。しかしこの子は賢くて「大男が小さな瓶に入るのをもう一度みたいと頼んで大男を再び小瓶の中に戻し蓋を閉めて勝つ。こんな話だった。しかし父の独特な所は黒板に絵を描きながらお話を進める所だった。様々な色のチョークを使い分けて。それにあらすじは今の通りだったがお話しが色々と横道に逸れ、それが毎回違う所も楽しかった。わたしは近所の子供達に人気がある父が誇らしかった。
また大学を卒業して社会人になった私の、今で言うカラーコーディネイターは父だった。美術が専門であった父は色彩感覚に優れており私の買う身の回りの品物を良く観察していた。若い娘らしく新しい衣服を買うとどんな色合わせがいいか必ず一言あった。文句言うより褒めてもらったと思う。今でも良く覚えているのが上半身を濃い色にして下半身を薄い色にすること。こうすると洒落ている、都会的であるというのが父の主張だった。下半身のスカートを濃い色にして薄い色の上着やブラウスを着るのが普通だった50年も前のこと。
自分を無神論者としていた父は「形あるものは総て滅びる」しかし「誰彼が思い出を語る時私は生きている」と晩年言ったことがある。今日は父の日。ちょっと父を思い出してみた。