憎きタバコ

昔知っていた翻訳家のMさんは美しい人だった。かなりのヘビースモーカーで仕事中タバコを左手に持ち替えて机の上の英文を訳しては原稿用紙のますを埋めていた。タバコをくゆらす時の彼女の仕草の美しさには煙も匂いも苦手のわたしまでもほれぼれしてしまうエレガントさがあった。しかしその後彼女は肺がんに倒れたという。週2回仕事で出掛ける都心のビルの近くに病院がある。私が朝そこを通り過ぎるときいつも木の陰に身を隠すように数人の若い女性がタバコを吸っている。注意してみると彼女達はその病院の事務系のスタッフだ。病院内は禁煙なのだろう。若い女性の喫煙はその後の長い人生にどう影響するか想像するだけで背筋が寒くなる。昨夜遅くWさんの死を知らせるご主人のメールを受け取った。彼女もまたタバコで命を犠牲にしたのだと思う。知的な話し方をする人だった。いつも貰っていたクリスマスカードに書かれた英語のバランスの良い美しい筆跡を思い出す。苦しかったであろう闘病を思い、天に召された彼女のために祈ろう。