月の夜 川床料理

この数日の間にロシアの、スケールの大きい2人の人、政治家と音楽家が亡くなった。このことでずっと昔知った二人のロシア人を思い出した。
ジュネーブのアパルトマンの1階下に住んでいたロシア人科学者夫妻。ご主人は顔を知っている程度だったが奥さんとは何度か話した。あの時代科学者といえども国を出ることは大変なことだった。彼らもまた子供達を国に残してスイスの研究所に来ていた。その上ビザはとても限定的なものでジュネーブにいてもすぐ隣のフランスの町にさえ行けない。この時まで遠くヨーロッパから離れた日本でのんきに暮らしていたわたしが知った世界だった。
もう一人は更に昔、40年以上前ソ連のある分野の代表団に付いて来た一人の通訳者だ。モスクワ大学を卒業したという若いこの人の日本語は大したものだった。ノンポリの私が放つ社会保障がそんなに充実していては働くのが嫌になる人はいませんか、なんていう質問にも正直に答えてくれた。月の美しい京都の夏の夜、彼らは川床料理に招待された。お酒で盛り上がった食事の席でこの通訳は突如プーシキンの詩を暗誦し始めた。ロシア語は全く分からない私だが美しい韻を踏む長詩を良い声でろうろうと暗誦し続けるのに感動した。もっと驚いたことは、彼がもうこれ以上は無理だというところに来た時同席していた日本人のロシア語通訳がそれを引き継いで更に更に長く暗誦したことだった。